ヤミ市研究について ヤミ市横丁研究所






Last updated 2017-11-04



そもそもヤミ市研究は私がハモニカ横丁に関心を持ち始めたときの二〇〇四年頃といえば全く盛んではなかった。一九八〇年頃に社会学者の松平誠(立教大学)がヤミ市に関する著書を二冊ほど出しているだけで、そのあとはまとまった研究成果はなかったが、二〇〇三年に東京大学の初田香成が修士論文で「戦後東京におけるバラック飲み屋街の形成と展開」という論文を建築学会の論文集に投稿していて、掲載から一年後に自分と同じように関心を抱いている人がいることを奇遇に思うとともに、大変心強く思えた。しかし、当時学部三年生の自分は東京大学博士課程に在籍する先輩にいきなりコンタクトをとれることもなく、いずれお会い出来たら程度に思っていた。また、自分が気づくのが遅れてしまったが、二〇〇二年一二月には、藤木TDCとブラボー川上による「まぼろし闇市をゆく 東京裏路地懐食紀行」(ミリオン出版)が出版されており、好評で度々重版され、のちのち文庫にもなり(二〇〇六年二月、ちくま文庫)、さらには続編まで出る(二〇〇八年四月)という盛況ぶりだった。


大学三年生の頃はなんの成果もあげていなかったが、丁度その頃大学の授業でホームページを作成する授業があり、多少HTMLのタグの知識を手に入れたので、ヤミ市横丁研究所というホームページを立ち上げ、ヤミ市を起源とする横丁について調査しているとを掲示した。全部で一〇〇字くらいしか書かれていないだろう、簡素なホームページだった。




しかし、そんな質素なデザインのホームページではあったが、大学三年生の最後の方でレポートをまとめたことをネット上で公表すると、ホームページにアクセスが増え始め、レポートを見せてくれと、大衆食に関する著書が多数ある遠藤哲夫と、当時一橋大学大学院で博士論文を執筆中だった五十嵐泰正(現・筑波大学大学院准教授)が関心があるということでいち早く連絡をいただけ、度々ヤミ市研究に関する助言をいただけた。


その後、二〇〇六年四月に就職して間もなく、卒論に関する問い合わせを初田香成からいただき、会わないまでも連絡を取り合うようになった。その後も度々卒論に関する問い合わせをもらったので、ハモニカ横丁の商店主の方から抜粋して小冊子にしてはどうかと連絡をいただいた。卒論自体の完成度はけして高くはなく、評価されるものではなく見るに堪えないものだったので、卒論を誰にもお見せできなかったということもあり、社会人一年目のときに要約して人様にお見せできる状態にして大量に印刷して安価で販売することにした。この印刷には最初、〇〇万という金額がかかったが、多くを干物店なぎさやの店主・入沢勝が男気で出してくださって実現した。


しかし、そんな冊子を毎日のアクセス数が一〇件程度のホームページで販売してもまったく売れるわけもなく、印刷してから一か月での販売部数は三冊という緊急事態だった。しかもその三冊は、横丁に酔客に対する押し売りということで売れたというよりは、買ってもらったと表現すべきものだったと思う。


ところが一気に追い風が吹く。武蔵野市役所のまちづくり関係の部署にいた方が市長の定例会見でたまたま来庁していた朝日新聞記者に小冊子の存在を伝えてくださり、同紙の東京都内版で大きく記事になった。するととてつもない数の注文メールを受信した。朝起きると一〇通くらい入っていて、夜、会社から帰ると四〇通くらい来ていた。それから一週間くらいは毎日かなりのメールをいただき返信には三日~一週間ほど遅れで対応せざるを得ない状態だった。



多数いただいたメールの中に、当時、武蔵大学社会学部教授だった橋本健二(現在 早稲田大学教授)からのメールがあった。注文のメールに、自身のホームページのURLがあったのでクリックしてみるとヤミ市に関してかなり内容の充実した記述があった。その後、連絡を取り合い、度々ヤミ市起源の酒場でご一緒させていただけるようになった。橋本は格差社会論を専門とする社会学者で、当時は格差社会論ブームで多数の著書を出版していた。まさに売れっ子学者だった。橋本と度々酒を酌み交わすうちに、だんだんヤミ市の専門書を一冊まとめられないかと思うようになり、今はなくなってしまったが阿佐ヶ谷の日本酒バー吟雅で二人で熱燗をのんでいるときに、話を切り出すと、橋本は話に乗ってくれた。ただし、二人ではなかなか充実した内容でまとめられないかもしれないので、他にもう一人執筆者を見つけてくる必要があると言われた。私はそれを聞いたとき、真っ先に初田香成を思い浮かべた。


二〇〇九年五月に橋本、初田、井上の三人で新宿思い出横丁のきくやで初会合を行った。ヤミ市研究会第一回目だった。かなりいい具合で話が進み、三カ月に一度の頻度でヤミ市研究会を東京大学の初田氏の教室のそばの作業室をお借りして開催することになった。その後は、まず盛岡をはじめ神社境内のヤミ市を研究している中島和也(当時東大修士)が初田さんの紹介で加わり、その後も初田の知り合いの建築系の研究者が続々加わった。明治大学の青井哲人、石榑督和、神戸大学の村上しほり、文学専攻の逆井聡人、民俗学専攻の厚香苗が加わり、総勢八名というそこそこの大所帯となった。


二〇一三年一二月、研究会全員でまとめた闇市に関する本「盛り場はヤミ市から生まれた」(青弓社)を出版。出版に際して、朝日新聞の夕刊(東京版)の一面で大きく取り上げられ、またネットでの拡散もあって大きな反響を呼んだ。
我々以外のヤミ市研究に関して目立ったものとしては、立教大学、豊島区、東京芸術劇場は「池袋=自由文化都市プロジェクト」実行委員会を発足して開催された、2015年9月に戦後70年企画「戦後池袋 −ヤミ市から自由文化都市へ− 」だ。これにはヤミ市研究会からも初田と石榑が参加していたが、立教大学の教員が中心となって開催されたシンポジウムだった。

個人的には、マイク・モラスキーさんから本を一冊まとめるよう御指導いただき、2015年5月に単著「吉祥寺『ハモニカ横丁』物語」を出版いたしました。



ヤミ市研究会はサントリー文化財団の助成をいただき活動費をいただきながら研究会の活動を継続していたが、二〇一六年九月に七年間のヤミ市研究会の活動の総決算として、「都市としての闇市 闇市研究のフロンティア」と題して研究成果報告会を東京大学で開催し、多くの観衆を集めて開催され、私たちのヤミ市研究はひと段落を迎えた。その後も、ヤミ市に関連する出版物は多いとは言えないまでもコンスタントに出版され、闇市は密かなブームとなっている。

井上健一郎