第6回 いわき市「夜明け市場」
福島県いわき市の震災復興飲食街、「夜明け市場」へやって参りました。
2011年の東北遠征の時に存在を教えていただいていました。
かなり前から視察を試みていただけに、念願叶いました!
「夜明け市場」は、いわき駅から徒歩2分という好立地。
以前は「白銀小路」として1970年頃からスナックの並ぶ飲み屋街として地元で知られていた。
その頃は炭鉱の作業員で大変賑わったという。
ところが、郊外化と居酒屋チェーンの進出により、徐々に客は遠のいていった。
近年においてもやはり、
アクセスの良さの一方で、賑わっていると呼べるエリアではなく、
夜は灯りのともらない、大人でも近寄り難いエリアだった。
そんな場所に生まれた震災復興飲食街「夜明け市場」には、
現在いわき市出身者に限らず各地で店を失うなどして商売を続けることが困難となった方々と、
以前からのスナック経営者から成っている。
40mの路地に2013年4月現在、11店舗が軒を連ねている。
2011年のオープン当初は僅か2店舗であったが、運営会社の支援などにより、
着実に商売再開をここで果たす人々が着実に増えている。
「夜明け市場」周辺地図
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以上の事柄をはじめ、夜明け市場の現状については、
夜明け市場で盛岡名物じゃじゃ麺の店「さんさ」を経営している石川さんにお話しをうかがった。
石川さんは盛岡で建材を扱う会社を経営されている一方で、夜明け市場の趣旨に賛同し、
この一帯の賑わいのために空き店舗で未経験の飲食店をここで始めた。
今は、盛岡といわきを往復する多忙な生活を送られている。
石川社長。何を語っても力強い。生き方が裏付けている。
石川さん自身、この場所で商売をはじめる前は、このエリアに近寄りがたかったという。
それだけに安定した集客を確保しつつある現状と以前の状態を比較して、
「ここまでよくやったね」といった言葉を地元の方からかけられることもあるとあるという。
石川さんの店「さんさ」の店内にいると、次々とじゃじゃ麺を求める高校生が入店。
かつては存在したというこの一帯に対する近寄りにくさは、全く感じられないほどであった。
中には、8名でこの横丁の狭い店に来店する高校生集団もおり、なんか凄かった!
石川さんは厨房にある椅子まで引っ張り出して、なんとか対応していた。
しかし、まだまだ「軌道に乗った」とは言えないという。
人が来るときと来ない時の波はあり、夜明け市場の多くの店にとって、
まだ現在の売り上げで十分とは言えないレベルということだった。
まだまだ、これからも復興・発展の余地はありそうだ。
この他にも数点の店を巡ったが、どの店にも地域を愛する熱い人たちがいた。
昭和のレトロな飲み屋街に連なる夜明け市場の街並みは魅力的だった。
でも、1番印象的だったのは、高い志を持ってここにやって来られたお1人お1人でした。
余談ですが、石川さんとはこの他にも様々なお話をお聞かせいただき、
午前2時近くまで日本酒片手に我々2人とお付き合いいただきました。
ありがとうございました!
いわき駅前と「さんさ」さんでいただいたもの。
・・・と、ここまで夜明け市場について書かせていただきましたが、
実はこの一帯は戦後のヤミ市起源ではありません(!)。
しかしながら、以前から夜明け市場を訪れて、レポートしたいと思っておりました。
この夜明け市場は、震災復興飲食街です。
戦災復興に大きく寄与した戦後ヤミ市とは、戦災か震災かの違いだけで同じような経緯を経て形成されたように思います。
ヤミ市にもあったであろう、人間のエネルギッシュな生命力と野性味を感じることのできる貴重な場である気がしました。
そして実際に訪れてみると、震災により多くのものを失うも、
ここで力強く再スタートした経営者をはじめ、多くの方々に人間の強さを感じました。
敬意をこめて、この場所を現代のヤミ市と呼びたいです。
滞在中、お世話になった皆様に心より感謝申し上げます。
改めてありがとうございました。